しばらくぶりに家に着くと、家には家の音があることがわかる。
それは通低音的に響く金魚の延命装置であったり、3つある時計のそれぞれにずれた針の刻まれる音であったり、煙草を吸う時につけなければならない換気扇の音だったりする。
犬が吠える。後頭部を抜けて頭上へと突き刺さるような声で。
ただいま。
鹿児島の南端ではすでに春の陽気となり、菜の花すら咲いていたというのに(かわいらしい郊外電車の沿線には春以外は立ち入り禁止である)、本州に入るとみぞれが車のフロントガラスに降り出す(みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ)。
遠くまで来たという感覚が存外ないことに驚いた。距離というものはきっかけにしかならない。
ライアン・ガンダーとサイモン・スターリングの展示を見るにつけて、相も変わらず現代美術の先行きは不透明だ。
ある種の洗練さは、ごく一部の人々を除いては、何も無いに等しい。希釈され尽くしたカルピスウォーター。不在の存在を感じ出せば、僕らはどこにも行けなくなるだろう。(ところで友人の恋人は睡眠薬入りのカルピスを飲まされ、目が覚めれば山梨だったという。)
ごはんがおいしかった。
ラーメン、馬刺、黒豚、ぶえん鰹、日向地鶏、お好み焼き。
おふろもよかった。
砂むし温泉は格別だった。あー生きてるって感じ。
今日からまたそれぞれの日常を営むのだろうけれど、そのうちまた出会うでしょ。それがそれぞれの最前線だといいね。
そのときまたポーカーしましょう。掛金がどれくらいになるのか今から楽しみです。
ありがとう。楽しかった。
がんばるわ。
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